日本の現状と背景

2016年時点

普及と法整備

日本国内には1980年代から、諸外国で散発的に実施されている代理出産が報道されてきたが、マスメディアは当初それらを、単に欧米社会の特異な出来事として紹介するのみであった。 日本で本格的に代理出産が自らの問題として認識されたのは、1990年からのことである。この年、4組の日本人夫婦が米国の代理出産で子を得た事例が報道された。また翌1991年には米国での代理出産斡旋業者の事実上の支店「代理出産情報センター」(鷲見ゆき代表)が設立され、 日本人が外国で代理出産を依頼する形式がしだいに普及していく。そこでは代理母の必要性はもとより、女性達はそれを人助けとして実施しているのであり、人々はそれを科学の恩恵として享受すべきであるという、米国流の代理出産解釈が繰り返し主張された。

代理出産を含む第三者の関わる生殖技術は、日本産科婦人科学会の会告により自主規制されてきたが、会告に反する行為を行う医師も出てきたことなどから、厚生労働省は1998年から第三者の関わる生殖技術について検討を開始し、2003年に代理出産は禁止すべきという提言を含 む報告書を提出した。しかしこの提言は野田聖子衆議院議員が強く反対したこともあり、報告書に基づいた法制度はいまだ実現に至っていない。

一方、厚生労働省が検討を重ねていた2001年に、長野県の産婦人科医が国内初の代理出産を行ったことを公表する中、タレント夫妻が代理出産依頼のため渡米すると、代理出産をめぐる米国流の言説、つまり「女性同士の助け合い」「科学の恩恵」という概念がメディアを通じて頻繁に主張され、人々の代理出産に対する認識は、肯定的なものへと大きく変化していった。たとえば2006年には柳沢厚生労働相(当時)が、変化しつつある世論を背景に、厚生労働省の報告書にはこだわらず、代理出産を容認する法整備の可能性に言及している。また政府は日 本学術会議に対し代理出産についての審議を依頼し、2008年に日本学術会議対外報告が公表されるが、そこでは代理出産を「原則として禁止」するも、「試行として実施する」という結論を出し、厳密に禁止を求めるものとはならなかった。

近年では、2014年に自民党プロジェクト・チームが、代理出産と卵子提供を可能とする「生殖補助医療法案」を作成している。2015年6月には自民党の法務.厚生労働合同部会において法案骨子が了承、さらに2016年3月には法案骨子に基づいた民法の特例法案(卵子提供や代理出産では産んだ女性と母とする等の内容)も了承された。

拡大する市場

代理出産を制限する法律を持たない日本人にとって、それは資金さえあれば誰もが利用可能な便利なサービスとなっている。そこに年齢も性別も関係しない。2008年には、独身の日本人男性がネパール人女性からの提供卵子を用いてインド人女性に代理出産をさせて子をもうけたものの、子を日本に連れ帰ることができない問題が生じた(マンジ事件)。2014年にも、日本人男性がタイ人の代理母を用い、19人の子をもうけたことが報道された。(赤ちゃん工場事件)。また高齢の独身女性が外国で卵子と精子を購入のうえ、代理母に妊娠を依頼し、生まれた子どもを日本に持ち帰った事例もある。

さらに近年では、法律不在の日本が、代理母の供給地として注目されはじめている。2016年には日本国内で、日本人を含め経済的に困難を抱える女性たちが、中国人依頼者の代理母に従事している事実が判明した。これまで日本人は主に外国で代理出産を実施し、現地で国際的な問題を引き起こしてきたが、近年では日本が逆の立場に置かれつつある。