声明文(2012年11月7日)

自民議員有志による「生殖補助医療に関する法律骨子素案」に対するコメント

 去る2012年6月10日付け毎日新聞に「代理出産 容認を検討 自民議員有志が法案素案」との記事が掲載された。 これによれば、「卵子提供や代理出産など第三者がかかわる生殖補助医療について、自民党の議員有志がこれらを条件付きで容認する内容の法案の素案をまとめた」とあり、同法律素案(以下:素案)の内容には「提供された精子、卵子、受精卵を使った体外受精を認める」うえ、代理出産に関して「子宮がないなど医学的に妊娠能力のない夫婦に限り、家庭裁判所の許可を得た上で実施する」ことなどが含まれるとされる。本素案に関し、メディアでの公表後5ヶ月を経過した現時点でも素案が棄却されたという報告はなく、今後、仮に具体化のため推進されるとすれば大きな問題を引き起こす事態が懸念されることから、当会はこの動きに対し深い憂慮を表明する。

素案には、代理出産、卵子提供、精子提供に関して、諸外国はもちろん日本国内で積み上げられてきた議論や当事者の意見が何ら反映されていない。特に代理出産に関しては、2008年に提出された日本学術会議報告書「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題-社会的合意に向けて」が示したように、医学的問題、家族関係において生じる問題、女性を産む道具として扱う倫理的問題、人身売買、子どもの福祉など、既に数多くの問題が指摘されている。そして本声明文の後半で述べる様に、これらの問題に対し現状では何ら対策が見出されていない上、本声明文後半に示すように、報告書が提出された後も次々と新たな問題が表面化している。

このように問題が放置された中で、仮に素案のような法律が成立すれば、日本の生殖医療が混乱に陥るのみならず、今後の日本を形成する若い世代の人々の性と生殖の健康、尊厳、そして生まれる人々の人権が侵害される危険性が大きい。これらの問題意識を踏まえ、当会は、とりわけ代理出産に関して、本素案の全面的な撤回はもとより、それらの実施を全面的に禁止する法律を整備することを提言する。

以下に本結論に至った具体的な理由を説明するとともに、社会的に追いつめられている当事者に対し別の形による援助の必要性を述べる。


 1.代理出産の「条件付き容認」をめぐる諸問題

素案は、代理出産の扱いに対し「子宮がないなど医学的に妊娠能力のない夫婦に限り、家庭裁判所の許可を得た上で実施する」と言明している。日本の今までの議論では、代理出産を限定的に認める場合、しばしば生まれつき子宮を持たない女性、または子宮を摘出した女性への適用が提唱されてきた。しかし子宮を持たない女性だけが代理出産という「他者の身体を利用する特権」を与えられる理由は何であろうか。ある人が妊娠・出産できない身体を持つ事実は、いかなる理由や経緯であれ同じであるにも関わらず、子宮の有無にのみ基づいてこのような特権を付与するのであれば、子宮はあるが別の疾患を持つ人に対する新たな差別が生み出される。現にイスラエルでは、近年になり、子宮を持たない女性ではなく、子宮があっても妊娠・出産に耐えうる体力を持たない女性による依頼する事例が増加している。1

次に金銭授受の問題がある。素案には「営利目的の代理出産には罰則を設ける」とあるが、「無償」ならば問題はないのだろうか。無償であることを条件に代理出産を容認する国や地域でも、代理母への経費の受け渡しは認められているが、近年では、妊娠という“労働”に見合わない事を理由に、経費以外の報酬も容認するよう求める意見が生じている。事実、経費以外に「プレゼント」の形で代理母と依頼者の間に経済行為が行われており2、将来的に「無償」という条件が形骸化することは必至である。

また、そもそも依頼者と特定の関係にない第三者が「ボランティア」で妊娠を請け負う形式が想定されているのであれば、それ自体が非現実的な発想でしかない。日本では、過去に諏訪マタニティークリニックの根津医師がボランティアを募りアンケートを実施したものの、そこで示された代理母役割に応える女性は皆無であった。これらを踏まえると、日本で第三者が代理出産を実施する場合には、何らかの商業的行為として成立すると考える方が自然であろう。

このような現状において、無償に限定して容認を認めるとすれば、結果として完全な“無償”の「ボランティア」となりうる立場にある近親者(実姉妹、義姉妹、実母、義母、従姉妹等)への圧力が高まることが懸念される。特に経済的・社会的に弱い女性を対象とする行為である側面から、こうした事例の積み重ねは生体間臓器移植の事例にも増して「近親者がそれを行うべき」という規範を容易に作り出すものと考えられる。

2.「医の倫理」と「子の福祉」に反する行為として

医の側面から
代理出産は依頼夫婦の身体を治療するものではない。それゆえ第三者に実施される「身体改良」であっても「医療」ではないし、医療者は他者を人為的に妊娠させることにより、第三者の心身を危険に晒している。

日本における周産期死亡率は、技術の進歩や関係者の努力によって非常に低く抑えられているとはいえ、妊娠および出産そのものが依然として健康と生命に関し無視しがたいリスクを伴うものであり、現に米国では代理出産による死亡例も存在する3し、近年では、複数回の代理出産後、子宮破裂・子宮摘出となった事例も報告されている。4そのような医学的リスクの可能性も認知していながら代理出産を実施するのであれば、その医療者は誰の健康状態も改善しないばかりか、故意に他者の身体に危害を与え、医の倫理に明確に反する行為を実施することとなる。

とりわけ子どもの立場に立ったとき、「医の倫理」が抱える問題は深刻である。現時点で代理出産、卵子提供、胚提供など、母胎と遺伝的に繋がらない子が抱える医学的リスクについては、まだ実験的な段階でしか判明していない。すなわち現実に行われている行為は全て臨床試験という性格をもち、生まれる子どもたちは、同意のない被験者となっている。

社会的側面から
代理出産は、社会的に「子の福祉」を害する側面をもつ。代理出産の受託者が事前に「同意」したとしても、妊娠期間を通じて胎児との結びつきを感じ、出産後に子の引渡しを拒否した事例はすでに広く知られているし、代理出産によって生まれた子が依頼者夫婦の子であることを事前に定める法律を作ったとしても、実際の子の特徴(性別や障がいなどを含む)が依頼者の希望に合わなかった場合には引き取りを拒否したり、事実上養育を放棄することも考えられる。現に外国にはすでにそのようなケースが存在し5、それらが日本でのみ生じない保証はどこにもない。.

3.追い詰められた依頼者たちへの心理的・制度的援助の必要性

 上記の理由により、代理出産はいかなる形態でも社会として正当化・合理化されえず、禁止されるべきである。もちろん、それぞれの人が「子どもが欲しい」という欲求(子ども願望)を抱くことは、社会的・一般的に是認されるものであるが、そうした願望は、あらゆる限度が取り払われてしまうほどに膨張する場合もある。技術的に可能でさえあれば、どれほどのリスクがあろうとも、どれほど費用がかかろうとも、どのような方法によろうとも「自分(たち)の」子どもを得たい、そうした願望に支配されてしまうような場合には、生殖医療を用いるに先だって心理的および社会的なサポートが必要とされる。近年では、このように代理出産しか救われる道はないと思わせてしまうような社会、家族概念のあり方が問題である事実も、広く認識されるようになっている。

それゆえ本会は、代理出産に対する、より抜本的な解決手段として、その禁止を求めることに加え、代理出産の実施を願うほど追い詰められた人々に対する心理的・制度的援助(心理社会的相談、グリーフワーク、養親・里親制度へのアクセス等)の整備についても検討されるべきと考えているそのような援助の中で、当事者たちが閉じられた価値観に追いつめられることなく、パートナーと共に生きる生活について考えたり、養子を迎えたりすることなど、より現実的な選択肢を早くから検討する手助けをすることも可能となろう。

現在のように、追い詰められた当事者に対して、不妊治療現場の医療者だけに判断をゆだねるには限界がある。子ども願望をめぐるこのような強い感情の存在を前に、今後は産科医や看護師だけでなく、精神科医や臨床心理専門家などの協力体制のもとで、個々の当事者に寄り添うかたちでの医療体制が提案されるべきであろう。

以上

2012年11月7日
代理出産を問い直す会

  1. Elly Teman, 2010,“Birthing a mother: The surrogate Body and The Pregnancy Self“,p301.
  2. Seattle Times, “State House says paid surrogacy should be legal“ by Brian Everstine, February 15, 2010.
  3. 1987年10月のデニス・マウンスさん死亡例について、大野和基『代理出産――生殖ビジネスと命の尊厳』、集英社、2009年、115頁以下参照。また2012年5月16日にはインドで代理母が死亡は本記事
  4. 昨今では次の事例が報道されている。「代理母から届けられていた子宮破裂で全摘の悲劇」、『女性自身』、2012年7月、2548号、161頁。
  5. たとえばドイツの事例として、高嶌英弘「代理母契約と良俗違反 : ドイツの判決を素材にして」、「京都産業大学論集. 社会科学系列」10、1993年、44-71頁。