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声明文(2020年12月20日)

「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律」についての声明

去る2020年12月7日第203回臨時国会にて「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律」が成立した。

当会は、法案の審議前から要望書(PDFのリンク)を作成、国会関係者に送付してきた。当会以外にも、当事者団体や女性団体、障害者団体など、諸団体が法案に対する懸念や法文上の問題点を示し、人の命に関わる本法案に関する、十分な議論とそれを反映させた法文改善を要求してきた。しかしながら、それら国民から寄せられた懸念は顧みられることなく、本法案は参議院法務委員会で2時間20分、衆議院法務委員会で2時間30分と、極めて短時間の審議を経たのちに成立した。

このように国民の声を無視して強行された、非民主的な立法過程に関して、国会関係者は猛省すべきである。そして本法律によって今後本邦にもたらされる社会問題に対し、当会は強い憂慮の念を抱いている。以下、本法律が持つ問題と、本法律による不備がもたらすであろう将来的な問題について説明する。

本法律が持つ問題

  • この法律により、一般社会では、卵子提供が本邦でも法的・社会的に容認されたものとみなされかねない。
  • 第三者の卵子を用いた生殖技術(卵子提供による妊娠および代理出産)における卵子提供者・懐胎者・生まれてくる児の被る医学的リスクは、本法律の提出、成立に至る中で、まったくといっていいほど検証・審議されていない。
  • 現状の生殖補助医療は、女性身体の商業的搾取という構造的問題点を孕んでいる。そのような中、なんら規制もないまま本法律により親子関係を先に保障すれば、卵子提供の商業化が進む。
  • 本法案は2年を目処に代理出産の合法化も視野に入れている。代理出産が合法化されれば、上記の問題は更に深刻化し、健康被害を含め、女性身体の搾取・収奪は深刻化する。
  • 当事者に関する心理的援助は現実性を欠き、誰が当事者なのかさえ明確ではない。

本法律の不備がもたらす問題

  1.  卵子提供と提供卵子による妊娠がもたらす健康被害について

    • 卵子提供者(卵子ドナー)の健康被害
      卵子提供では、一般的な不妊治療とは異なり、ドナーに対して大量のホルモン剤が投与される。商業的な卵子斡旋が盛んな米国では、卵子ドナーとなったことで、若い女性が後遺障害に苦しんだり、自身が不妊になったりしている。他国では死亡例も存在し、さらに長期的な副作用としての発がん性の疑いも指摘されている。
    • 母体の健康被害と生まれる児への影響
      提供された卵子(ドナー卵子)で妊娠出産する女性は、自己卵子で妊娠する場合と比較して、より重大な医学的リスクに晒されることが、医学論文により確認され、本邦でも報告されている。具体的には重い妊娠高血圧症候群、癒着胎盤、分娩後の大量出血、それらに伴う子宮摘出などである。これらは母体だけでなく児にも大きなリスクがある。
    • 当事者が被る負担
      卵子ドナーや、提供卵子で妊娠する女性に、十分な説明と同意のもとで、慎重な医療的プロセスが取られるとしても、女性たちは事前の薬物投与を含めて長期の監視のもとに置かれることとなり、その心身への負担は極めて大きい。またいくら慎重な医学的管理を行っても、排卵誘発剤使用による血栓症や、分娩時の突発事象は完全には防ぎ得ず、これらの健康被害は取り返しがつかない。

2.生殖技術における女性の身体の商業化・女性の収奪について

    • 親子関係の保障による商業化の促進
      米国・カリフォルニア州では生殖技術に関する、種々の規制法の成立を待たず、判例により、子を持つ意思のある依頼者が親となることが保障された。その結果、依頼者は、安心して卵子提供や代理出産を実施できるようになり、米国は世界一の生殖ビジネス市場となった。日本も同様の事態が想定される。
    • 日本経済の低下に伴うグローバルな女性の収奪
      これまで国内で実質的に卵子提供が禁止されている状態であっても、日本の若い女性が、インターネット広告の募集に応じ、米国やタイに渡航して卵子を提供(売買)してきた。日本経済が低迷し、日本人の隠れた貧困が深刻化している状況において、今後、日本国内の女性が、グローバルな生殖技術市場で、卵子や代理母の供給源としてターゲットになることは明白である。本法律は、近い将来さらに増加するとみられる、経済力に乏しい女性たちを、これまで以上に卵子提供や代理出産の圧力に晒すことになる。
    • 無償の卵子提供による収奪の拡大
      日本は女性の社会的地位が低く(ジェンダー・ギャップ指数では世界121位)、いまだ家制度の発想が残る。本法律により、望まぬ卵子提供や代理出産など、若い女性が家族・親族から圧力を受け、身体を提供せざるを得なくなる事態が生じる危険がある。

3. 潜在的な依頼者による利用の増大

    • 独身男性・高齢独身女性による需要
      日本では、卵子を購入したり、代理母を利用するのは、ヘテロセクシュアルの男女の不妊カップルだけかのように議論されているが、現実には、極めて多様な人々がそれらを利用している。2008年に国際問題となり、インドの法律改正にも影響を与えた「マンジ事件」では、日本人の男性が、ネパール人女性の提供卵子を用いてインド人代理母に児を産ませている。2014年にインターポールの調査対象となったタイの「赤ちゃん工場事件」でも、日本人の独身男性が、提供卵子とタイ人代理母を利用して15人を超える児をもうけている。さらに日本人の独身高齢女性が、米国で卵子、精子を購入し、代理母によって児を得た事例も報告されている。
      これら無制限の商業的生殖ツーリズム、人体搾取は国際的にも批判され、2010年代にはアジア諸国が規制を進めることとなった。しかし我が国の政府は、上記のような実態を顧みない浅薄な認識のもと、何らの規制もない“容認法“を成立させた。国として無責任と言わざるを得ない。
    • 男性カップルによる需要
      同性婚の合法化された地域では、兄弟のため姉や妹が卵子提供者や代理母になる例が続出している。今後、日本でも同性婚が合法化されれば、卵子や代理母の需要は確実に増加する。すでに日本国内にも、姉妹から卵子を得て、パートナーとの間で子を得た男性カップルが存在する。歯止めとなる法律を欠いたまま、同性婚が合法化されれば、親族による卵子の需要は急激に高まり、女性たちが圧力に晒される。

4. 当事者に対する心理社会的援助の欠如

    • 相談を提供する必要性
      法案第3条2項には、「必要かつ適切な説明」と「各当事者の十分な理解」が求められている。しかしこれは、いわゆる「インフォームド・コンセント」のルールを確認するものであり、一般の医療行為の要件を超えるものではない。生殖補助医療を利用する際には、単なる「説明」では足りず、傾聴と対話を旨とした心理専門職の技能をもとに、必要な社会的援助へとつなげる「相談」を提供する義務を医療機関に課すべきである。
    • 相談体制の整備を「絵に描いた餅」にする法案
      第7条には国による「相談体制の整備」がうたわれている。しかし不妊の悩みは身体のみならず、心理的、社会的な側面が相互に関係しあう複合的なものである。このため、技術的解決を推進する〈医療〉とは別の立場に立ち、不妊に悩む人々の苦しみそのものを正面から受け止める援助者(公認心理士、社会福祉士等)が求められるべきである。〈医療〉〈治療〉に囚われない相談を提供し、公的資金によって運営すべきである。生殖補助医療という〈技術的解決〉を前面に押し出したこの法律は、結果的に、不妊治療クリニックの利権を拡大し、不妊治療で悩む人を増大させ、その悩みを深刻化させることが懸念される。

以上

声明文(2012年11月7日)

自民議員有志による「生殖補助医療に関する法律骨子素案」に対するコメント

 去る2012年6月10日付け毎日新聞に「代理出産 容認を検討 自民議員有志が法案素案」との記事が掲載された。 これによれば、「卵子提供や代理出産など第三者がかかわる生殖補助医療について、自民党の議員有志がこれらを条件付きで容認する内容の法案の素案をまとめた」とあり、同法律素案(以下:素案)の内容には「提供された精子、卵子、受精卵を使った体外受精を認める」うえ、代理出産に関して「子宮がないなど医学的に妊娠能力のない夫婦に限り、家庭裁判所の許可を得た上で実施する」ことなどが含まれるとされる。本素案に関し、メディアでの公表後5ヶ月を経過した現時点でも素案が棄却されたという報告はなく、今後、仮に具体化のため推進されるとすれば大きな問題を引き起こす事態が懸念されることから、当会はこの動きに対し深い憂慮を表明する。

素案には、代理出産、卵子提供、精子提供に関して、諸外国はもちろん日本国内で積み上げられてきた議論や当事者の意見が何ら反映されていない。特に代理出産に関しては、2008年に提出された日本学術会議報告書「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題-社会的合意に向けて」が示したように、医学的問題、家族関係において生じる問題、女性を産む道具として扱う倫理的問題、人身売買、子どもの福祉など、既に数多くの問題が指摘されている。そして本声明文の後半で述べる様に、これらの問題に対し現状では何ら対策が見出されていない上、本声明文後半に示すように、報告書が提出された後も次々と新たな問題が表面化している。

このように問題が放置された中で、仮に素案のような法律が成立すれば、日本の生殖医療が混乱に陥るのみならず、今後の日本を形成する若い世代の人々の性と生殖の健康、尊厳、そして生まれる人々の人権が侵害される危険性が大きい。これらの問題意識を踏まえ、当会は、とりわけ代理出産に関して、本素案の全面的な撤回はもとより、それらの実施を全面的に禁止する法律を整備することを提言する。

以下に本結論に至った具体的な理由を説明するとともに、社会的に追いつめられている当事者に対し別の形による援助の必要性を述べる。


 1.代理出産の「条件付き容認」をめぐる諸問題

素案は、代理出産の扱いに対し「子宮がないなど医学的に妊娠能力のない夫婦に限り、家庭裁判所の許可を得た上で実施する」と言明している。日本の今までの議論では、代理出産を限定的に認める場合、しばしば生まれつき子宮を持たない女性、または子宮を摘出した女性への適用が提唱されてきた。しかし子宮を持たない女性だけが代理出産という「他者の身体を利用する特権」を与えられる理由は何であろうか。ある人が妊娠・出産できない身体を持つ事実は、いかなる理由や経緯であれ同じであるにも関わらず、子宮の有無にのみ基づいてこのような特権を付与するのであれば、子宮はあるが別の疾患を持つ人に対する新たな差別が生み出される。現にイスラエルでは、近年になり、子宮を持たない女性ではなく、子宮があっても妊娠・出産に耐えうる体力を持たない女性による依頼する事例が増加している。1

次に金銭授受の問題がある。素案には「営利目的の代理出産には罰則を設ける」とあるが、「無償」ならば問題はないのだろうか。無償であることを条件に代理出産を容認する国や地域でも、代理母への経費の受け渡しは認められているが、近年では、妊娠という“労働”に見合わない事を理由に、経費以外の報酬も容認するよう求める意見が生じている。事実、経費以外に「プレゼント」の形で代理母と依頼者の間に経済行為が行われており2、将来的に「無償」という条件が形骸化することは必至である。

また、そもそも依頼者と特定の関係にない第三者が「ボランティア」で妊娠を請け負う形式が想定されているのであれば、それ自体が非現実的な発想でしかない。日本では、過去に諏訪マタニティークリニックの根津医師がボランティアを募りアンケートを実施したものの、そこで示された代理母役割に応える女性は皆無であった。これらを踏まえると、日本で第三者が代理出産を実施する場合には、何らかの商業的行為として成立すると考える方が自然であろう。

このような現状において、無償に限定して容認を認めるとすれば、結果として完全な“無償”の「ボランティア」となりうる立場にある近親者(実姉妹、義姉妹、実母、義母、従姉妹等)への圧力が高まることが懸念される。特に経済的・社会的に弱い女性を対象とする行為である側面から、こうした事例の積み重ねは生体間臓器移植の事例にも増して「近親者がそれを行うべき」という規範を容易に作り出すものと考えられる。

2.「医の倫理」と「子の福祉」に反する行為として

医の側面から
代理出産は依頼夫婦の身体を治療するものではない。それゆえ第三者に実施される「身体改良」であっても「医療」ではないし、医療者は他者を人為的に妊娠させることにより、第三者の心身を危険に晒している。

日本における周産期死亡率は、技術の進歩や関係者の努力によって非常に低く抑えられているとはいえ、妊娠および出産そのものが依然として健康と生命に関し無視しがたいリスクを伴うものであり、現に米国では代理出産による死亡例も存在する3し、近年では、複数回の代理出産後、子宮破裂・子宮摘出となった事例も報告されている。4そのような医学的リスクの可能性も認知していながら代理出産を実施するのであれば、その医療者は誰の健康状態も改善しないばかりか、故意に他者の身体に危害を与え、医の倫理に明確に反する行為を実施することとなる。

とりわけ子どもの立場に立ったとき、「医の倫理」が抱える問題は深刻である。現時点で代理出産、卵子提供、胚提供など、母胎と遺伝的に繋がらない子が抱える医学的リスクについては、まだ実験的な段階でしか判明していない。すなわち現実に行われている行為は全て臨床試験という性格をもち、生まれる子どもたちは、同意のない被験者となっている。

社会的側面から
代理出産は、社会的に「子の福祉」を害する側面をもつ。代理出産の受託者が事前に「同意」したとしても、妊娠期間を通じて胎児との結びつきを感じ、出産後に子の引渡しを拒否した事例はすでに広く知られているし、代理出産によって生まれた子が依頼者夫婦の子であることを事前に定める法律を作ったとしても、実際の子の特徴(性別や障がいなどを含む)が依頼者の希望に合わなかった場合には引き取りを拒否したり、事実上養育を放棄することも考えられる。現に外国にはすでにそのようなケースが存在し5、それらが日本でのみ生じない保証はどこにもない。.

3.追い詰められた依頼者たちへの心理的・制度的援助の必要性

 上記の理由により、代理出産はいかなる形態でも社会として正当化・合理化されえず、禁止されるべきである。もちろん、それぞれの人が「子どもが欲しい」という欲求(子ども願望)を抱くことは、社会的・一般的に是認されるものであるが、そうした願望は、あらゆる限度が取り払われてしまうほどに膨張する場合もある。技術的に可能でさえあれば、どれほどのリスクがあろうとも、どれほど費用がかかろうとも、どのような方法によろうとも「自分(たち)の」子どもを得たい、そうした願望に支配されてしまうような場合には、生殖医療を用いるに先だって心理的および社会的なサポートが必要とされる。近年では、このように代理出産しか救われる道はないと思わせてしまうような社会、家族概念のあり方が問題である事実も、広く認識されるようになっている。

それゆえ本会は、代理出産に対する、より抜本的な解決手段として、その禁止を求めることに加え、代理出産の実施を願うほど追い詰められた人々に対する心理的・制度的援助(心理社会的相談、グリーフワーク、養親・里親制度へのアクセス等)の整備についても検討されるべきと考えているそのような援助の中で、当事者たちが閉じられた価値観に追いつめられることなく、パートナーと共に生きる生活について考えたり、養子を迎えたりすることなど、より現実的な選択肢を早くから検討する手助けをすることも可能となろう。

現在のように、追い詰められた当事者に対して、不妊治療現場の医療者だけに判断をゆだねるには限界がある。子ども願望をめぐるこのような強い感情の存在を前に、今後は産科医や看護師だけでなく、精神科医や臨床心理専門家などの協力体制のもとで、個々の当事者に寄り添うかたちでの医療体制が提案されるべきであろう。

以上

2012年11月7日
代理出産を問い直す会

  1. Elly Teman, 2010,“Birthing a mother: The surrogate Body and The Pregnancy Self“,p301.
  2. Seattle Times, “State House says paid surrogacy should be legal“ by Brian Everstine, February 15, 2010.
  3. 1987年10月のデニス・マウンスさん死亡例について、大野和基『代理出産――生殖ビジネスと命の尊厳』、集英社、2009年、115頁以下参照。また2012年5月16日にはインドで代理母が死亡は本記事
  4. 昨今では次の事例が報道されている。「代理母から届けられていた子宮破裂で全摘の悲劇」、『女性自身』、2012年7月、2548号、161頁。
  5. たとえばドイツの事例として、高嶌英弘「代理母契約と良俗違反 : ドイツの判決を素材にして」、「京都産業大学論集. 社会科学系列」10、1993年、44-71頁。

声明文(2018年3月20日)

アナウンサー丸岡いずみ氏によるロシア国内の代理出産依頼に関する、一部マス・メディア報道に対するコメント

去る2018年1月23日に、マス・メディアにおいてアナウンサーの丸岡いずみ氏と夫の有村昆氏が、ロシア国内で商業的代理出産を依頼し、代理母が男児を出産したことが報じられた。

この代理出産依頼は、丸岡いずみ氏らによる個人的な行為であり、それ自体は本会の関与するところではない。しかしながら本件を扱う報道の一部は、丸岡氏の代理出産依頼を、あたかも「美談」あるいは「望ましい行為」であるかのように伝えており、本行為が社会的な議論の的となっている現状を考えると、配慮に欠いた報道のあり方には、懸念を抱かざるを得ない。以下にその具体的な背景を説明し、主にTV番組『ミヤネ屋』を例に、こうした報道がもたらす問題を指摘する。

商業的代理出産に対する議論

丸岡いずみ氏らの実施した、「生殖アウトソーシング」と呼ばれる「商業的代理出産」は、実施場所であるロシア国内でも批判の声があがっており、昨年末には禁止法案が提出されている。(リンク:ロシアの状況)またロシアに関わらず、他国の女性を利用する「生殖アウトソーシング」とよばれる方法は、女性への「暴力」「人権侵害」として国際的に問題視されている。研究者はもちろん、女性団体や市民団体を中心に、代理出産の世界的な禁止を求める国際的キャンペーンが実施されており、1 近年では国連もこの問題を取り上げている。2 

日本国内では、「生殖アウトソーシング」の形式はもちろん、「代理出産」という方法自体が、社会的側面はもちろん、医学的にも危険を伴うことから、医療者や法曹を中心に長らく問題視されてきた。2008年には学術専門家たちが、代理出産を原則的に禁止すべきとの報告書を提出している。3

代理出産への誤解

このような現実があるにも関わらず、公益性を重視すべき大手マス・メディアが、本行為が惹起する深刻な問題に触れず、あたかも「美談」であるかのように論じれば、日本国内の視聴者に、代理出産に対する誤解を与えかねない。

とりわけ実際に不妊治療で悩む女性にとって、その誤解は深刻である。代理出産は、不妊女性の「治療」ではなく、代理母と依頼者の結ぶ「契約」である。(リンク:代理出産の歴史)しかしマス・メディアが、代理出産を不妊治療の延長として論じる報道を続ければ、不妊で苦しむ女性に、代理出産を最終的な「医学的治療」と位置づける、誤ったメッセージを伝えることになる。

『ミヤネ屋』報道内容における問題

上述の問題意識に照らしあわせると、2018年1月23日放送の情報番組『ミヤネ屋』は、生殖アウトソーシングによる人権侵害や、ロシア国内でそれを禁止する法案が提出された事実、また近年、アウトソーシング先となった国々が挙って禁止法を制定しつつある世界的な動きを、明らかに軽んじたものであった。それらは放送倫理・番組向上機構(BPO)が定める、「日本民間放送連盟 放送基準」の第1章(人権)、第2章(法と政治)、第6章(報道の責任)、第6章(報道の責任)、第7章(宗教)、第8章(表現上の配慮)に抵触するか、或いはそこで謳われる倫理観への配慮に著しく欠けるものである。4

上記『ミヤネ屋』放送分では、代理出産が孕む上記の問題を論じないだけでなく、視聴者が想起するであろう批判的意見を、巧みに隠蔽する演出が取られていた。そこでは、子が生まれた直後に、現地との生中継の形で、感動を伝える舞台を用意した上で、代理出産の成功に喜ぶ依頼者の姿や、渡航生殖に至る依頼者側の都合ばかりを伝え、依頼者の歓喜を強調する内容となっていた。

さらに『ミヤネ屋』では、日本の法律に関し明らかな誤報が含まれている。5 また代理出産という方法への理解が不十分なうえ、海外の法律に関しても、曖昧な表記で誤解を招きかねない表現もあり、事実確認が十分に行われていない。6

本会は、上記放送のように、代理出産がもたらす人権問題や国際的な視点、または宗教団体の公式見解を考慮しないばかりか、生まれた人の存在を利用する、政治的に恣意性の高い報道を、公共性の求められる地上放送が実施した事実、さらにそれらを法律に関する誤まった理解のもとに伝えた事実を強く批判する。そして、丸岡いずみ氏の事例に限らず、世界の様々な場所で実施されている「生殖アウトソーシング」に対し、今後も同様の報道が繰り返されることに、深い憂慮の念を示している。

以上

2018年3月20日
代理出産を問い直す会


注1:たとえば、2015年に始まったキャンペーン「STOP SURROGACY NOW」(英文。日本語ページあり)では代理出産の禁止を求めて国際的な人権運動が展開されている。本キャンペーンには、様々な国々の研究者やNPO団体はもとより、代理母経験者や生まれた人も参加している。

注2:国連における報告内容の映像はこのリンクから閲覧可能である。

注3:無償の場合を含め、代理出産のもたらす社会的・科学的問題については日本学術会議報告書に詳細が示されている。とりわけ医学的側面については、代理出産に限らず、第三者の卵子を用いた妊娠が引き起こす問題が指摘されている。(日本では、このようなニュースが報じられている。また研究結果を参照した数字はこちらのニュースに記載。妊娠する女性の年齢によらず、医学的リスクは上昇する。)

注4:各章に関する具体的な論点は以下の通りである。

「第1章 人権」第4項「人身売買および売春・買春は肯定的に取り扱わない。」

 代理出産は、一部の地域で合法化されている米国でも、人身売買および売春として根強い批判が存在する上、ロシア国内では、国会議員が「売春」と同列の行為として批判し禁止法を提出している。当事国で「人身売買」あるいは「売春まがい」と論じられる行為を、一方的に美談として伝える報道は、著しく見識に欠けるものである。

「第2章 法と政治」第8項「国の機関が審理している問題については慎重に取り扱い、係争中の問題はその審理を妨げないように注意する。」

 自民党は党内にPTを設けて生殖技術の法制化を検討しており、当該番組でもその法案に関する言及があった。しかし2014年にPTが提示した法案は、一部の無償代理出産は容認するも、対価の生じる代理出産は刑罰をもって処する内容である。この法案は自民党内でも異論があり集約には至らず、2016年に自民党部会が了承したのは法案そのものではなく、付随する「民法の特例法案」であり、これは代理出産の容認とは無関係の内容である(たとえばこのリンク先を参照)。

それにもかかわらず、ミヤネ屋は、あたかも当該法案が通れば(あるいは将来的には)、今回丸岡氏の実施した「商業的代理出産」も日本で合法化されるかのように表現している。視聴者のミスリードを誘う、軽薄なコメントである。

「第6章 報道の責任」第34項「取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。」

 上記で説明したように、本件は世界的な社会問題に対し、明らかに、その方法による利益供与者(依頼者や斡旋業者)の一方的な見解しか示しておらず、視聴者に誤解を与える。

「第7章 宗教」第41項「宗教を取り上げる際は、客観的事実を無視したり、科学を否定する内容にならないよう留意する。」

 本事例で、丸岡いずみ氏は、代理母がクリスチャンである事により、その宗教的意義から代理出産を引き受けたかのように説明していた。しかしロシアのクリスチャンの96%以上が所属するロシア正教会は、かねてから代理出産を極めて強い言葉で批判し、政府に禁止を求めている。番組では、丸岡いずみ氏の客観的な根拠に欠ける説明を、何ら精査せずに論じている。

「第8章 表現上の配慮」第47項「社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない。」

 世界的な批判はもとより、日本国内で長らく議論が続く「代理出産」という方法の置かれた状況を考えると、本番組は明らかに一面的な意見しか伝えていない。

同章第9項「国際親善を害するおそれのある問題は、その取り扱いに注意する」との関連

 ロシア国内で批判が高まり、禁止法案が提出されている最中に、ロシアの世論を無視する形での本報道内容は、ロシアの世論を無視した身勝手なものとなりかねない。かつて日本人男性がインドで代理出産を実施し国際問題へと発展した事例(マンジ事件)や、タイで大量に代理出産を実施した男性がインターポールの捜査を受けた事例(「赤ちゃん工場」事件)を考慮すると、国際的な批判を引き起こしかねない本事例は、より慎重に扱うべきであった。

注5:ミヤネ屋による日本の法律に関する報道内容は、次の点で事実と異なる。

  •  宮根氏は「出産した女性が母親であるという日本の法律があって、2015年、民法の特例法案が自民党の部会で了承したんですが、いま先送りされているというところで」と述べ、その後に「まあ、将来的には了承されると思いますが」と述べる。しかし日本には「出産した女性が母親」という法律は存在していない。
  • 2014年に自民党PTが提示した当初の法律案は、一部の無償代理出産を容認する内容を含んでいたが、そこで容認されるのは原則、先天的・後天的に子宮のない女性などの場合であり、丸岡氏のようなケースは該当しない可能性が高いものであった。
  • 2015年ではなく2016年に最終了承されたのはPTの作成した法案そのものではなく、あくまで親子関係を規定するための「民法の特例法案」であり、その内容は卵子提供や代理出産においては「産んだ女性が母」とするものである。従って本法案が成立しても、それは丸岡氏らの事例を直接に支持するものではない。

注6:BPOに明文化された基準とは別に、報道の正確性という見地から、ミヤネ屋で用いられた資料には以下の問題が存在する。

  • 本番組では、代理出産を(番組内では斡旋業者がしばしば用いる「代理母出産」の言葉を利用)、夫婦の精子と卵子を用いる方法として述べているが、実際の代理出産では、同性カップルや独身者はもちろん、不妊夫婦であっても、卵子や精子を購入したり知人から譲り受ける事例も多い。卵子提供を用いる代理出産は日本でも90年代から見られるものであり、斡旋業者の鷲見ゆき氏によれば、夫婦が提供卵子を用いる例は、2003年の時点で既に半数近くを占める。※ そのような事実がある中で、ミヤネ屋が用いた資料は、世界はもとより日本国内における代理出産という方法の在り方に対する現状を反映しておらず、矮小化させた認識を与えてしまう。
  • 本番組内で映し出された資料には、代理出産の可能な地域として「アメリカ(州ごと)、ウクライナ、メキシコ、タイ、ロシアなど」とある。これらのうち丸岡いずみ氏の実施した商業的代理出産が可能なのは、アメリカの幾つかの州とウクライナ、ロシアのみであり、メキシコとタイは、外国人による商業的代理出産を禁止している(それらの経緯はこちら)。ミヤネ屋の資料では丸岡いずみ氏の実施した外国人による商業的代理出産と、無償の代理出産、あるいは国籍条項のある代理出産を区別していないが、本映像の文脈に照らし合わせて見た場合には、あたかもそこに掲載された全ての国で、丸岡いずみ氏の事例が可能であるかのような誤解を与えかねない。
次の論文に詳細を記載。柳原良江(2011)「代理出産における倫理的問題のありか一その歴史と展開の分析から一」、『生命倫理』21(12-21)、日本生命倫理学会。

 


<付記>
丸岡いずみ氏の代理出産に関する報道では、「代理母出産」の表記が用いられているが、本会では「代理出産」として表記している。その理由はこのリンク先を参照されたい。

 

声明文(2009年12月20日)

諏訪マタニティークリニックにおける代理懐胎事例の報道に対するコメント

 2009年11月後半に一部メディアより、日本国内のクリニックにおいて、女性が遺伝的な孫を産む形での代理懐胎が実施されたことが報道されました。
本会は以下の見解から、親が孫を産む代理懐胎を遺憾な行為と捉えております。また代理懐胎の根底には、懐胎した当事者、依頼者、医療者の別に関わらず、女性の身体を「産む機械」と捉える眼差しが存在しております。このように女性の身体を貶める思想を普及させようとする当事者たちに対し、ここに強く批判の意を表明いたします。
  1. 身体的リスク
    閉経した女性を妊娠・出産させる行為が一般化すれば、高齢者が身体的リスクを伴いながらも、妊娠・出産を選択せざるを得ないような環境が形成される。それは高いリスクを伴っていても、妊娠・出産目的のためには、健康な身体をエンハンスメント(身体改造)すべきとの発想を普及させる。
  2. 「産む機械」としての発想
    年齢に関わらず女性を妊娠・出産させる行為は、女性が本来持つ身体的機能や、年齢と共に獲得する社会的役割やアイデンティティを捨象させ「産む機械」として捉える視点を強化する。このような認識が普及すれば、不妊女性はより強い社会的圧力を受け、当事者の苦しみはより強いものとなる。
  3. 母性イデオロギーの強化
    女性が命を危険に晒して母性を貫くことを、あたかも自明の本能的な性質とみなす本件は、多くの女性に対し、母性の名の下に更なる自己犠牲を求める危険をもたらす。
  4. 家族関係の変化
    今回の代理懐胎実施例では、母と娘の関係性のみが強調され、その他の家族関係は殆ど語られなかったが、そこには必ず精子の提供者(娘の夫)がおり、その提供者にも、実母や実父や実子など、懐胎者以外の家族関係がある。また懐胎者にも、娘以外の家族がいる場合は、そこにも家族関係が存在する。
    一般的に家族間の代理懐胎は、家族以外の他者に影響が及ばないことを根拠として正当化されがちであるが、懐胎者と依頼者以外の家族メンバーに対し、代理懐胎で利益を得る当事者たちの一方的な語り以外に信頼できる報告がなされていない現状で、家族が何ら深刻な影響を被らないという言説に根拠は存在しない。
  5. 子どもの福祉
    医療面での安全性が増し、子どもに対する医学的リスクが消失したり、法的に実子として扱われたりするなど、現在まで指摘されてきた問題点が克服されたとしても、第三者を介して生まれた事実は、実際に生まれた子に、多大な負担をもたらすことが予想される。現に日本では、法律婚の夫婦の間に非配偶者間人工授精により生まれた子たちが、成長してから自らの出自について悩む例が生じている。この現状から見ても、より親子関係の複雑化する代理懐胎において、生まれる子ども達が、深刻な悩みを抱えないと推測するのは困難である。

 

以上
2009年12月20日
代理出産を問い直す会