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市民圏(The Civil Sphere)

 

基本となる文献はAlexanderの下記の本。

  • Jeffery C. Alexander, 2006, “The Civil Sphere”, Oxford University Press, New York.

日本語で最も詳しい論文は下記

  • 兼子諭、2014、「公共圏論のパースペクティブの刷新ーーアレグザンダー「市民圏」論の検討をもとにーー」、『社会学評論』、65(3)、pp.360-373.

日本の現状と背景

2016年時点

普及と法整備

日本国内には1980年代から、諸外国で散発的に実施されている代理出産が報道されてきたが、マスメディアは当初それらを、単に欧米社会の特異な出来事として紹介するのみであった。 日本で本格的に代理出産が自らの問題として認識されたのは、1990年からのことである。この年、4組の日本人夫婦が米国の代理出産で子を得た事例が報道された。また翌1991年には米国での代理出産斡旋業者の事実上の支店「代理出産情報センター」(鷲見ゆき代表)が設立され、 日本人が外国で代理出産を依頼する形式がしだいに普及していく。そこでは代理母の必要性はもとより、女性達はそれを人助けとして実施しているのであり、人々はそれを科学の恩恵として享受すべきであるという、米国流の代理出産解釈が繰り返し主張された。

代理出産を含む第三者の関わる生殖技術は、日本産科婦人科学会の会告により自主規制されてきたが、会告に反する行為を行う医師も出てきたことなどから、厚生労働省は1998年から第三者の関わる生殖技術について検討を開始し、2003年に代理出産は禁止すべきという提言を含 む報告書を提出した。しかしこの提言は野田聖子衆議院議員が強く反対したこともあり、報告書に基づいた法制度はいまだ実現に至っていない。

一方、厚生労働省が検討を重ねていた2001年に、長野県の産婦人科医が国内初の代理出産を行ったことを公表する中、タレント夫妻が代理出産依頼のため渡米すると、代理出産をめぐる米国流の言説、つまり「女性同士の助け合い」「科学の恩恵」という概念がメディアを通じて頻繁に主張され、人々の代理出産に対する認識は、肯定的なものへと大きく変化していった。たとえば2006年には柳沢厚生労働相(当時)が、変化しつつある世論を背景に、厚生労働省の報告書にはこだわらず、代理出産を容認する法整備の可能性に言及している。また政府は日 本学術会議に対し代理出産についての審議を依頼し、2008年に日本学術会議対外報告が公表されるが、そこでは代理出産を「原則として禁止」するも、「試行として実施する」という結論を出し、厳密に禁止を求めるものとはならなかった。

近年では、2014年に自民党プロジェクト・チームが、代理出産と卵子提供を可能とする「生殖補助医療法案」を作成している。2015年6月には自民党の法務.厚生労働合同部会において法案骨子が了承、さらに2016年3月には法案骨子に基づいた民法の特例法案(卵子提供や代理出産では産んだ女性と母とする等の内容)も了承された。

拡大する市場

代理出産を制限する法律を持たない日本人にとって、それは資金さえあれば誰もが利用可能な便利なサービスとなっている。そこに年齢も性別も関係しない。2008年には、独身の日本人男性がネパール人女性からの提供卵子を用いてインド人女性に代理出産をさせて子をもうけたものの、子を日本に連れ帰ることができない問題が生じた(マンジ事件)。2014年にも、日本人男性がタイ人の代理母を用い、19人の子をもうけたことが報道された。(赤ちゃん工場事件)。また高齢の独身女性が外国で卵子と精子を購入のうえ、代理母に妊娠を依頼し、生まれた子どもを日本に持ち帰った事例もある。

さらに近年では、法律不在の日本が、代理母の供給地として注目されはじめている。2016年には日本国内で、日本人を含め経済的に困難を抱える女性たちが、中国人依頼者の代理母に従事している事実が判明した。これまで日本人は主に外国で代理出産を実施し、現地で国際的な問題を引き起こしてきたが、近年では日本が逆の立場に置かれつつある。

 

代理出産とは1:古典的方法

それは「新しい問題」ではない

代理出産(surrogacy)とは、他者に妊娠を依頼し、お互いの同意の上、医学的な介入、ときには性交による自然妊娠を経て、産まれた子を依頼者が引き取るという、契約妊娠を指す。これはしばしば「生殖技術の進展」により生じた「新しい問題」とされるが、歴史的に見れば、代理出産/契約妊娠は、科学技術の進歩の結果というより、古来よりさまざまな文化の中で用いられ続けてきた、いわば<おなじみの方法>である。

西洋の古典的代理出産

古来の代理出産(古典的代理出産)は性交により妊娠し、生まれた子を依頼者に渡すものである。西洋文化圏における有名な例として、聖書の記載が挙げられる。アブラハムの妻サラは不妊で自ら子を産めないため、自分のエジプト人女奴隷・ハガルにアブラハムの子を産ませている(創 世記、16章)し、ラケルはヤコブとの間に子を作るため、やはり自分の女奴隷に子を産ませている(創世記、30章)。これらの記載から、かつて奴隷を側女(代理母)として子を得る行為が一般的だ ったと推測される。

韓国・中国の古典的代理出産

東アジアでは、同様の慣習が比較的最近まで存在していた。 たとえば朝鮮時代の韓国には「シバジ」(直訳すると「種受け」)と呼ばれる代理母が存在してい た。渕上によると、シバジは子どもの産めない妻に代わり、夫と性交して男児を産むことを生業とし ていた。シバジは男児を産めば高い報酬を受け取ることができたが、女児を産んだら、ごく僅かな報酬をもらうのみで、その子を連れて村に帰るので、シバジの村は女ばかりとなり、シバジの娘もまたシバジとして生きていく。 中国では、元代以前から明清朝にかけて、租妻(妻の賃貸)や典妻(妻の質入れ)と呼ばれる行為により、他人の妻を借りて子を産ませることがあった。この制度を用いて他人の妻を借りる側の多くは、自らの妻が原因で子がいないとか、子が夭折し妻は老年で出産できない、あるいは貧困で妻が娶れないといった背景のもと、子を得るために実施していたという。そのため本制度は「租吐 子(腹を貸す)」とも呼ばれていた。

日本の古典的代理出産

子を産ませる目的で女性と契約する制度は日本にも見られる。江戸時代中期から明治初期までの妾は、性欲の対象としてだけではなく、子を得るための役割も果たしていた。江戸時代中期には、「妾奉公」の名で、一種の職業的立場として扱われる場合もあった。妾奉公に関する資料によると、奉公期間中に得た子は主人の子となるが、妾は年季が明ければ子を残したまま、何も求めず家を去らねばならなかったことが示されている。 生殖目的としての妾の位置づけは、明治政府が制定した「新律綱領」の中にも、明確に表れている。そこでは家が子を得る必要性から、妾が正式に法律上の家族制度の一員として位置づけられた。加藤秀一は、これら妾の役割を「上層武士階級にとっての妾とは「『家』を維持するためのい わば『生殖装置』」であり、明治初期の家族制度への導入も「生殖機械としての女性を効率よく利用することで『家』の継続を保障し、国家の基盤を強化」するためだったと論じている。

近代的代理出産の“発見”

西洋における古典的代理出産は、キリスト教の影響により、遅くとも 11 世紀ごろにはこの習慣が 実質的に禁止されるようになったと考えられる。同様に、韓国・中国・日本など東アジアにおける古典的代理出産制度・慣習も、それぞれの文化圏に西洋文化が流入すると共に、女性の権利を侵 害する非人道的なものとして、廃止に至っている。 他方、米国ではこうした古来の契約妊娠が、「代理出産(surrogacy)」という名で新たに“発明” され、売り出された(「代理出産とは2:米国の再発明」を参照)。聖書の記述や東アジアで実施されていた慣習を「古典的代理出産」と呼ぶなら、こちらは「近代的代理出産」と呼び得る。そして、この近代的代理出産を多くのメディア(あるいは代理出産の先導者)はしばしば「科学技術の恩恵」といった言葉で表現してきた。しかしながら、代理出産で用いられる技術は、人々がイメージするような最先端の科学技術ではないうえ、現在では、より安価な代理出産のため性交による代理出産も報じられている。すなわち代理出産の根底にあるのは、科学技術や性交の有無でさえなく、「子を妊娠し引き渡す契約」の有無である。 代理出産という問題を考えていく際には、近代社会がいったんは「非倫理的」「非人道的」とラベ ル付けした行為が、「科学技術の進展」「科学の恩恵」という新たな言説をまとい、あたかも別の行為として認識され、容認されているという点を十分踏まえておくべきであろう。

本質にある倫理的問いとは

代理出産は、しばしば「子宮の貸し借り」の言葉で表現される。しかし代理出産は、取り出し可能な臓器の贈与や交換ではなく、生きた人間の身体行為そのものを他者へ利用させる行為である。 近代社会では、人体工場や臓器の取引が禁止されているように、他者の生存そのものを取引の 対象とする奴隷制や、たとえ一部でしかなくとも、人体部品を譲り渡す行為は、禁忌とされている。 それにもかかわらず、こと代理出産に限れば、女性の身体そのもの――そこには当人の意志の関 与できない生理活動も含まれる――を貸し借りや取引の対象とする方法が、取り立てて大きな抵 抗もなく普及し、さらに拡大されようとしている。 性と生殖に関連する場面では、女性の身体は、ごく簡単に他者による介入や取引が可能な存在 として位置づけられる。この社会は、女性が一般的な臓器や組織工場になるのは許さない一方で、 こと生殖の文脈では、女性の体を守ろうとしないばかりか、むしろ積極的にそれを他者のために利 用させることが推奨される。 この行為の本質にある倫理的問いとは何か。それは、古来より続き、いまだ明確な回答のなされ ていない困難な問題、すなわち妾制度や奴隷制度、または現在の買売春議論まで続く、他者の身体を利用することは許されるのかという問い、その行為をめぐる議論の中に見いだされよう。

参考文献

  • 柳原良江、2011、「代理出産における倫理的問題のありかーその歴史と展開の分析からー」、『生命倫理』、第 22 号、日本生命倫理学会。
  • 柳原良江、2015、「人体収奪の新形態−米国における日本人向け卵子提供産業の現状から−」、『生命倫理』、25 号、4ー12頁、日本生命倫理学会。
  • 柳原良江、2017、「フェミニズムの権利論」、田上孝一(編)、『権利の哲学入門』、社会評論社。
  • 渕上恭子、2008、「「シバジ」考̶̶韓国朝鮮における代理母出産の民族学的研究̶̶」、『哲学:特集 文化人類学の現代 的課題Ⅱ』、119 号、三田哲学会。
  • 加藤秀一、2004、『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたかー性道徳と優生思想の百年間』、筑摩書房。

イタリアの現状と背景

2016年時点

2004 年に成立したイタリアの生殖補助医療法は代理母を禁ずる。生まれてくる子どもの人格の 尊厳と基本的人権、特に身体的・精神的・実存的完全性への権利、そして家族への権利を侵害するからである。生命は伝えられ受け継がれる。有性種の生命の法則は雌雄の生物学的構造の 内に記されている。しかし身体(corpo)と精神(spirito)の合一(unitotalità)である人格においては、生物学的法則は本能的衝動を自由な選択と義務に高める知性と精神の統制下にある。選択と義 務は誠実な深い愛に根差した二人の心、知性、そして霊魂の精神的な諸力のすべてを巻き込み、その愛は生命の賜物である子どもに充満する。代理出産において、子どもは二人の人格から遺伝的遺産を受容する一方、他のもう一人の人格 である代理母から血液、栄養、そして子宮内部での活発なコミュニケーションを受容する。それは、自分の両親を知り、自分の両親によって自己を同定する子どもの権利を侵害する。また両親の一 致、両親と子どもの関係の緊密性を傷つけ、家族を構成する身体的・心理的・道徳的諸要素の間にも深刻な分裂をもたらす。

参考文献

  • 秋葉悦子、2005、『ヴァチカン・アカデミーの生命倫理』、知泉書館。
  • エリオ・スグレッチャ、秋葉悦子(訳)、2015、『人格主義生命倫理学総論』、知泉書館。

ドイツの現状と背景

2016年時点

ドイツでは 1989 年の「養子斡旋及び代理母斡旋禁止に関する法律」において、代理母を斡旋し たりその事業を宣伝したりすることが禁じられた。1990 年の「胚保護法」では、「出産後、その子を 第三者に譲渡する用意のある女性(代理母)に、人工授精を実施もしくはヒト胚を移植した者」は、「三年以下の自由刑〔禁固刑〕もしくは罰金刑に処する」と規定された。 禁止の根拠として、まず代理出産は「子の福祉」を害するということが挙げられる。妊娠中から母子の愛着形成が始まり、安定した関係の中で出産や育児が継続的になされることが、子どもの成 長にとって非常に重要であるとされる。「母性の分裂」は心理的にも法的にも不安定性をもたらしう る。そこに金銭や様々な大人の意図が介在すれば、子どもを育てるために望ましい環境は損なわ れてしまう。子どもが欲しいという大人の願望(「子ども願望」)よりも、「子の福祉」が優先されるとい うのがドイツの考え方である。 2010 年、ドイツ人夫婦の依頼によりインドで代理出産された子のドイツへの入国が拒否された。 日本と同様に「出産者=母」であり、その子はインド人だというのである。このケースではすでにドイ ツ人夫婦に2年間の養育実績があったので、その後の裁判によって辛うじて養子縁組が認められ たと推測されるが、その過程では「親としての資格」が厳しく吟味された。

参考文献:

  • 小椋宗一郎、2011、「代理出産をめぐるドイツの言説」、日比野由利/柳原良江(編)『テクノロジーとヘ ルスケア』、178-188頁、生活書院。
  • 小椋宗一郎、2011、「代理出産と不妊相談」、『死生学研究』15号、289-311頁、東京大学大学院 人社会系研究科。

フランスの現状と背景

2016年時点

1994 年の生命倫理法により、「他者のための妊娠 la gestation pour compte d’autrui(代理出 産)」に関わる契約は無効(民法典)、代理出産を依頼したい人と代理母になろうとする人を仲介 する行為には刑罰が課される(刑法典)。代理出産が認められないのは、人の身分(ある母親の子 どもであるということ)や人体を当事者が勝手にやり取りすることは公序に反するという理由である。これらの規定は一定の歯止めとなっていると思われるが、代理出産してもらいたい人々の一部は、 代理出産できる国─―裁判例からはアメリカ合衆国、インド、ロシア、ウクライナなど─̶で行ってい るようだ。最近まで、外国でフランス人が依頼した代理出産によって生まれた子どもと依頼した人と の親子関係は、帰国後認められてこなかった。依頼者を親とする現地の出生証書を国内の身分 登記簿に転記することや、養子縁組ができなかったのだ。しかし、2014年に欧州人権裁判所が、フランスは子どもの私生活を尊重する権利を侵害していると判断し、この判決を受けて、2015 年に 破毀院(最高裁に相当)は、ロシアでの代理出産で生まれた子と依頼男性の父子関係を認めてい る。外国での代理出産がしやすくなったと受け止められることが懸念される。

参考文献

  • 小門穂、2015、『フランスの生命倫理法 生殖医療の用いられ方』、ナカニシヤ出版。

代理出産に関する文献

生殖技術の概況

  • 神里彩子・成澤光(編)、2008、『生殖補助医療:生命倫理と法―基本資料集3』、信山社。主要な国の法整備やその経緯について書かれている。現行法の資料としては古くなりつつあるが、各国の法整備に関する歴史的事項の基本的な把握にはとても有益。

国際的な論考

アメリカ合衆国

  • 荻野美穂、2009、「代理出産の意味するもの」、『日本学報』、第28号、大阪大学大学院文学研究科日本学研究室。アメリカのフェミニズムにおける代理出産の認識枠組みを説明。
  • ケイン,エリザベス., 落合 恵子 (訳)、1993、『バースマザー ある代理母の手記』、共同通信社。(=Elizabeth Kane, 1988, “Birth Mother: The Story of America’s First Legal Surrogate Mother”, Harcourt Brace Jovanovich.)全米初の代理母としてメディアに登場し,代理出産のキャンペーンを行ったエリザベス・ケインの手記。周囲に代理出産ビジネスの広告塔として扱われた経緯や、出産後に,自らの代理出産を後悔した経緯が述べられる。ベビーM事件をきっかけに「代理母に反対する全米連合」に参加,代理出産禁止運動に身を投じる。なお本件に関するNYTimesの記事はここから閲覧できる。
  • チェスラー、, 佐藤雅彦(訳)、1993、『代理母:ベビーM事件の教訓』、平凡社。(=Chesler, Phyllis., 1988, ”Sacred Bond: The Legacy of Baby M”, Crown.) ベビーM事件の詳細な経緯を説明。
  • Anita L. Allen, “The Socio-Economic Struggle for Equality
    THE BLACK SURROGATE MOTHER”  Harvard BlackLetter Journal
    Spring, 1991 Johnson vs. Calvert 事件に関するコメント。黒人代理母が白人の子を産む点で奴隷制度との類比。ここから閲覧可能。
  • スパー、デボラ・L、椎野敦(訳)、2006、『ベビー・ビジネス』、ランダムハウス講談社。(=Spar, Debora L., 2006, ”The Baby Business: How Money, Science, and Politics Drive the Commerce of Conception” Harvard Business Press.) 米国の生殖技術マーケットの現状を中心に経済学者の視点から説明。1990年代以降、体外受精型が普及して確立した代理出産マーケットの概況を説明。現在の生殖技術マーケットの基本形が把握できる。
  • Markens, Suzan., 2007, “Surrogate Motherhood: and the Politics of Reproduction”, University of California Press. 米国の代理出産に関する政治的言説を丁寧に追い、米国内における代理出産の認識枠組みが説明される。これを読むと、日本で繰り返された代理出産言説の一部が、ほぼ米国からの輸入である事が分かる。しかし他方で日本には輸入されなかった、或いは無視された言説もあり、文化的な違いが見えるのは興味深い。
  • Charles P. Kindregan, Jr., Maureen McBrien, 2006, “Assisted Reproductive Technology: A Lawyer’s Guide to Emerging Law and Science”, American Bar Association. 2000年代前半までのアメリカの生殖技術に関する法的問題を整理した本。アメリカ国内の著名な事件の概要も解説されている。また巻末のIndexを用いて米語圏の語法を確認できる。

イギリス

  • Mulkay, Michael, 1997, “The Embryo Research Debate: Science and the Politics of Reproduction”, Cambridge University Press. IVF発明後のイギリスの議論を追った本。Warnock report への反応や胚研究に関する政治、文化的側面について。人間の生殖技術に関する問題が取り上げられる際の特徴は、この時期からかわりない様に思える。

フランス

  • 小門穂、2015、『フランスの生命倫理法 生殖医療の用いられ方』、ナカニシヤ出版。フランスの状況を把握する上で基本的な一冊。

ドイツ

  • 小椋宗一郎、2020、『生命をめぐる葛藤』、生活書院。妊娠中絶を始め、妊娠に関するドイツの状況を説明。代理出産についての章もあり。筆者は本会設立者の一人。

インド

  • Sheela Saravanan, 2018.A Transnational Feminist View of Surrogacy Biomarkets in India, Springer 著者についてはこちらを参照。

東アジア

  • 渕上恭子、2008、「「シバジ」考――韓国朝鮮における代理母出産の民族学的研究――」、『哲学』、119号、三田哲学会。韓国朝鮮において貴族が実施していた代理母制度「シバジ」の説明。近代化以降廃止された。
  • 柳原良江、2011、「代理出産における倫理的問題のありか一その歴史と展開の分析から一」、『生命倫理』21号、12-21頁。東アジアの古典的代理出産の説明。渕上恭子さんの「シバジ」に関する議論の紹介、中国の典妻、祖妻、日本の妾奉公など、かつて東アジアに存在した、子供を得る目的で女性を貸し借りする制度の説明。
  • 柳原良江、2015、「収奪と利益が絡み合う卵子提供ビジネス──使い捨てられる女性たち──」、『世界』、岩波書店。アメリカの卵子提供の現状を中心に、海外での日本人による卵子売買について。卵子提供において、卵子売買市場で明らかにされてこなかった健康リスクの可能性や、日本と米国の卵子提供の値段の違いなど。
  • Yoshie YANAGIHARA, 2019, ”What Constitutes Autonomy” in the Japanese Civil Sphere?: The Struggle over Surrogacy”, Jeffrey C. Alexander, David A. Palmer, Sunwoong Park and Agnes Shuk-mei Ku (Eds). The Civil Sphere in East Asia. Cambridge:Cambridge University Press. pp.213-233. 2000年代前半に生じた援助交際肯定論で「性的自己決定権」をキーワードに女性の商品化が進んだことにより、代理出産が日本に受容されていく文化的地ならしが行われた経緯を説明。(この内容の一部をまとめ直し、2021, ”Towards the Abolition of Surrogate Motherhood”に掲載)

「代理出産」に対する理論的分析

  • 柳原良江、2019、「代理出産というビジネス―― 経緯・現状とそれを支える文化構造」、『科学技術社会論研究』, 第17号. 79-92頁。商業化の現状と構造について説明。
  • 柳原良江, 2020, 「生殖技術における生政治の作動――その権力構造と議論に表れた概念配置の分析」、『科学技術社会論研究』、第18号、179-191頁。フーコーの生政治論を用いて、特定の階層の人に対しては女性の身体利用が免責される文化構造について分析。
  • Yoshie YANAGIHARA, 2020, “Reconstructing feminist perspectives of women’s bodies using a globalized view: The changing surrogacy market in Japan”, Bioethics, Volume 34, Issue 6. 570-577. June 2020. 日本では南アジア・東南アジアの女性を用いるのは問題視されるが、貧困女性であっても「白人」の利用は免責される文化的状況について説明。
  • Yoshie YANAGIHARA, 2021 “The Practice of Surrogacy as a Phenomenon of ‘Bare Life’: An Analysis of the Japanese Case Applying Agamben’s Theory”, Current Sociology, Vol. 69(2) , pp.231–248.アガンベンの「二重の締め出し」理論を用いて、代理母となる女性や生まれる人が、神の法からも人の法からも締め出された「ホモ・サケル」になっている構造を説明。
  • 柳原良江、2021、「代理出産における変遷――何が新しく何が多様なのか」、『家族社会学研究』、41-54頁。「多様性」の名の下で代理出産が肯定されている昨今の状況について、実際に多様性が進んでいる領域と、多様性と思われているが均質化が進んでいる領域について整理。

代理出産とは2

米国における発明

現在、私たちが一般的に「代理出産」と呼ぶ方法は、1976 年に米国ミシガン州の弁護士ノエル・キーン(Noel Keane)により発明された。キーンは、カリフォルニアの独身男性が、人工授精を用いて自分の子を妊娠し、産まれたら引き渡してくれる女性を探す広告を新聞に掲載した出来事にヒントを得て、同様の方法を「代理出産」という名で売り出した。

当初は批判も多かったこの方法に、現在のように肯定的な認識を与える大きな契機をもたらしたのは、全米初の代理母として知られるエリザベス・ケインを中心としたキャンペーンである。ケインは妊娠中、彼女による代理出産を担当した産婦人科医らの手配により、米国内で数々の著名なメデ ィアに出演し、代理母の必要性と価値を謳った。実際のところ彼女は出産後にその経験を後悔し、自らベビーM事件(後述)に伴う代理出産反対運動に身を投じるが、米国では、彼女らの活 動を通じて、代理出産に対する肯定的な考え方が普及することになった。

ケインのキャンペーンを始め、80 年代前半の代理出産推進運動で盛んに論じられたのは、それをボランティアと位置づけ、女性同士の助けあいとみなす発想である。もともとこの解釈は、上述した代理出産の発明者、ノエル・キーンによって作り出されたものである。キーンは代理出産を人身売買として批判されない よう、無償のボランティア女性による「人助け」に位置づけた。そして無報酬ながら代理母となる女性を集めるための宣伝文句として「利他的(Altruistic)」の言葉を利用した。ただし本当の無報酬では女性たちが集まらず、のちに代理母への報酬が支払われる形へと変化することとなり、結果的 に代理母の報酬を不当に低額なものに抑える原因を作ることとなった。

エリザベス・ケインを斡旋した産婦人科医は、マス・メディアを通じて代理出産を「科学の恩恵」と位置づけた。初期の代理出産で使われた技術は、200 年以上前に実用化された「人工授精」という「手技」だったが、それがあたかも最先端の科学知により編み出された新技術であるかのように位置づけられた。特別な技術としての認識は、値段にも反映されている。1980年代、通常の不妊治療では325ドルしかかからなかった人工授精が、代理出産の契約のもとでは1500 ドルで実施されていた。

ブームの減退

このような代理出産は、米国初の代理出産による親権裁判となった「ベビーM 事件」により、広く非難されることとなった。ベビーM 事件とは、1986年にニュージャージー州の代理母が、自ら産んだ子の引き渡しを拒否し、依頼者によって訴えられた出来事である。

この裁判を通じ、代理出産契 約を問題視する研究者や女性団体はもちろん、過去に代理出産を実施した代理母当事者や宗教団体、さらに政治的保守派も巻き込み、代理出産の反対運動が高まることとなった。その結果、判決では代理出産契約じたいが無効とされ、代理母が実の母親として認められた。またこの当時盛んになった反対運動により、いくつかの州や地域で、代理出産が禁止または契約じたいが無効とされた。現在も米国では、反対運動の盛んであったミシガン州やワシントン D.C.など、代理出産が厳格に取り締まられている州や地域があり、それはこの当時の運動の成果によるものである。そしてこの時期から、米国内でも代理出産の流行はしだいに減退していく。

代理出産の復活とアウトソーシング化

しかし代理出産は、1990 年のジョンソン対カルヴァート事件(Johnson vs. Calvert)」判決の影響を経て、再び人気を回復する。この事件は、代理母のジョンソンが、依頼者であるカルヴァート夫妻の遺伝的な子を、体外受精を経て妊娠・出産し、生まれた子の引き渡しを拒んだものである。判決では代理母を実の母親とみなしたベビーM 事件と異なり、子の母親は妊娠・出産したジョンソンではなく、使われた卵子の持ち主であり、依頼者として子を持つ意思のあったカルヴァート夫人にあるとした。この判決をきっかけに、代理母による親権裁判を恐れて下火になっていた代理出産は、人工授精の代わりに体外受精を用いる形で、急速に普及することになる。その結果、現在まで にカリフォルニア州をはじめ、代理出産を合法的に実施できる州で、世界中の富裕層向けに大きな代理出産市場が作り出されている。

米国における代理出産産業の拡大は、非富裕層向けの市場として、アメリカ以外の発展途上国で「生殖アウトソーシング」と呼ばれる代理出産をも生みだすようになった。 アウトソーシング先として、かつてはインドやタイが有名であった。2016 年現在、両国とも外国人による代理出産を禁じているが、新たな委託先の開拓は常に行われており、ある国で有償の代理 出産が禁止されても、すぐに拠点を移し別の国で同じビジネスが繰り返される。隣接するメキシコ* や医療費の安いカナダはもちろん、近年では、カンボジアやジョージア共和国などが新たなアウトソーシング先として注目を浴びている。

*メキシコでは 2015 年に可決された法案により、2016 年 1 月 14 日より外国人による依頼が禁止された。

参考文献

  • 柳原良江,2017,「フェミニズムの権利論」,田上孝一(編),『権利の哲学入門』,社会評論社.(なお、本記事に載せられた個別の情報に関する出典も、この論考の中に参考文献として記載されています)。