声明文(2010年10月1日)

野田聖子議員の提供卵による妊娠と一部マス・メディア報道に関するコメント

    • 平成22年8月25日より報道されている提供卵を用いた野田聖子議員の妊娠は、野田聖子議員本人と、一部マス・メディアにより、国内の法律の不備を訴えるアピールとして報道されているが、この解釈は事実誤認である。
    • 野田議員は日本における「法の不在」を自ら作り出し、自身は渡米して卵子を購入した。これは立法者として持つべき良識から逸脱した行為であるし、野田聖子氏により歪曲された上記のストーリーを検証せずに伝えた一部マス・メディアの姿勢も倫理的に問題がある。
    • 本会は卵子提供に関して、代理出産と同様に身体の搾取や人体の道具化、生まれる子どもに苦悩が生じるなどの危険をもたらす点があることからその実施には慎重になるべきと考えている。
    • 上記見解の詳細について以下に述べる。

1.野田聖子氏による事実の歪曲

      1. 野田氏が作り出した法律不在

卵提供にかかる法整備が成立しなかったのは、野田氏は自らが2003年厚生労働省生殖補助医療部会報告書に基づく法案の提出を阻んできたことによる。(その経緯は『産婦人科の世界』の記事を参照)

同報告書はすみやかな立法を求めていたが、仮に野田氏が法案にさまざまな問題点を認めたのであれば、自らが中心となり実現可能な法案を整え、早期に国会に提出すべきであった。

その政治的責任を果たすこともなく国内の状況を放置し続け、海外で卵子提供を受けた事実は、政治家としての責任感を欠くのみならず、法の不在を「恣意的に」作り出した疑念さえ生じさせる。

国内の動向の無視

野田氏は、一患者として、自らの努力でJISARTの定める要件を満たすことにより、国内で配偶子の提供を受けることも選択できたが、一連の報道はこれらの動きにまったく触れず、一方的に議論の不在、法律の不在、関係者の「無理解」を強調している。

長期に渡り積み上げられ、既に存在する議論を敢えて無視する野田氏の姿勢は、国内の議論や状況を軽んじており、立法者として正当化できる判断とは考えられず、議員としての良識を欠いたものである。

1.養子縁組に対する印象操作

一部の報道では、野田氏が養子縁組を選択しなかった理由として野田氏本人の言葉を引用しながら、あたかも養子縁組制度やそれに基づく団体が野田氏を門前払いしたかのような、あるいは「厳しい条件をつきつける頭の固い団体」のような印象操作がなされている。

しかし養子縁組の際に提示される条件は、子どもの福祉を第一に据えた結果として定められたものであるし、そもそもこれらは親の保護を失った子のために整備された制度であり、子の欲しい親の欲求を満たす制度ではない。

実親の保護を失った子どもを迎える場合には、特別養子縁組、普通養子縁組のほか、里親、季節里親、週末里親などの制度もある。これらの選択肢に触れることなく「養子縁組」とひとくくりにし、野田氏の言い分のみを取り上げる報道は、事実を公平に伝えているとはいえない。

2.公人による情報操作への荷担

    • 上記の事実を確認せず、または敢えて無視した上で、公人である野田氏による、事実を歪曲化させた発言をアナウンスした一部マス・メディアの姿勢は、メディアが本来果たすべき責任を放棄したものである。

3.今回の卵子提供が持つ問題

  • 卵子売買として

報道によると野田議員は、米国の卵提供エージェンシーに数百万円を「支払った」という。 「善意の提供」と繰り返し述べるが、その実態は卵子の「売買」であり、人身売買としての倫理的問題を孕んでいる。

卵子提供は、排卵誘発剤の副作用による健康被害や、提供者が不妊になる可能性があり、身体的なリスクも少なくないうえ、米国での卵提供は、裕福な高齢者が、若年者の社会的な弱さにつけ込み、身体を不当に利用する側面をも持つ。たとえば、卵子提供・代理母出産情報センターの鷲見侑紀氏が、同センターが扱う提供者のほとんどが日本人留学生であると述べていたように、米国の卵子提供者は学生であることが多く、その産業構造は経済的に弱い若年女性の存在のもとに成り立っている。

またそれらは、長くAIDを実施してきた慶応義塾大学において、学生が自らの生殖のあり方や将来の家族形成に関して十分に認識しないまま、教員に促され精子を提供することになった事実が示唆するのと同じく、学生たちが自らが生殖に関わる事の重みについて十分に認識していない未熟さに人々が便乗し、提供者の将来への配慮を欠いた形で実施されている可能性もある。

上述の課題に加えて、2008年にインドで日本人男性医師が代理出産を依頼した事例にも象徴されるように、「生殖ツーリズム」が海外の貧困層の身体を搾取する行為として世界的に問題視されつつある現状では、卵子提供のあり方も国際的な枠組みで深慮せねばならず、その実施には慎重になる必要がある。

  • 生まれた子どもの抱える負担

近年、精子・卵子提供による生殖が、生まれてくる子へ大きな心理的負荷(アイデンティティの危機、遺伝的特質を遡れない事実への苦しみ)をもたらすことが次第に明らかになっている。日本でもAIDで生まれた人たちの自助グループや、彼らが中心となる「第三者の関わる生殖技術について考える会」が発足しており、カップル以外の第三者が生殖に関与することの問題性、子どもの心理的・法的課題について真摯に考えねばならない。

  • 高齢女性の負担

今回の事例では、ほぼ閉経期にある野田議員にホルモン剤を使用して生殖技術が進められていることが推察される。50代の実母が娘のために代理出産をした事例の問題とも関連するが、自然には分泌されない女性ホルモンを人工的に大量に投与することによる、女性の側の身体的負担は非常に大きい。

このような方法を用いた妊娠・出産を無批判に肯定・賞賛することは、同様の立場、年齢にある女性に、高リスクの妊娠・出産を期待したり強要する社会的風潮を生み出しかねず、この点についても熟慮が必要であろう。

以上

2010年10月1日
代理出産を問い直す会

映画紹介

映画『代理出産―繁殖階級の女?』
原題「Breeders」(2014年 米国The Center for Bioethics and Culture制作 50分)

代理出産は、早くから21世紀の重要な論争の一つ となってきた。有名人も一般人も、家庭を築くため、 ますます代理母を利用している。しかしこの方法は、 女性、子ども、そして家族にとって複雑な問題をは らんでいる。 代理母となった女性、そしてその女性から産まれ てくる子ども達にどんな影響が生じるのか。金銭の やりとりは物事を複雑にするのか。親族や知人が自 己犠牲で代理母になった場合は? 代理出産は美しい善行なのか、それとも単なる赤 ちゃん製造として妊娠・出産を貶める行為か。私達 はうまく折り合い方を見つけられるのか。そもそも それを模索すべきなのか?

制作者

本ドキュメンタリーは、米国のNPO団体「The Center for Bioethics and Culture(CBC:生命倫理 文化センター)」により制作された。同団体は生命倫理に関する社会問題を対象に、ウェブサイトを通じた 情報発信はもとより、ドキュメンタリー映画制作や、 講演、メディアのインタビュー出演などを行っている。 米国内の法律制定に係る公聴会はもとより国連でも発言し、国際的に生殖技術政策への政治的発言力を高めつつある。ドキュメンタリー映画としては本作のほか、 卵子ドナーの健康被害実態を扱った『eggsploitation (邦題:卵子提供 美談の裏側)』(2010,2013)、 匿名で提供された精子により生まれた人の問題を描く 『Anonymous Father’s Day』(2011)などがある。

Breeders 日本語版制作委員会

  • 総合監修・翻訳:柳原良江
  • 編集:鈴木良子・勝野有美・小島剛
  • 映像:鈴木良子
  • 翻訳協力:大野和基
  • コーディネート・翻訳協力:Christian Justin Shearn
  • 医学監修:打出喜義

上映会

【イベント趣旨】
これまで代理出産に関する報告といえば、それを「人助け」の「善行」に位置づけるものが一般的であった。近年になり、先進国の依頼者がインドやタイの貧困女性を相手に実施する場合のような、南北問題の側面に焦点を当てた報告もなされているが、経済的な不平等を問うだけでは、代理出産という方法それ自体が持つ問題は、なかなか表面化してこない。
アメリカのNPO団体により制作された映画『代理出産–繁殖階級の女?』(原題「Breeders: A Subclass of Women?」2014年制作)は、アメリカ国内で、人助けの名目で代理母になった女性たちや生まれた人の語りを中心に、この方法に関係する人々に複雑な問題を作り出す姿を映し出すものである。代理出産という方法は、代理母となった女性、産まれてくる子ども達、代理母の家族たちにどんな影響を生み出したのか。親族や知人が自己犠牲で代理母になった場合は問題がないと言えるのか?この映画は、一般的に「善行」と信じられている無償の代理出産を軸に、アメリカ国内の代理出産の問題を描き出していく。
本企画では、この映画の上映を通じて、改めて代理出産の持つ問題点を把握したい。そして世界中に広まる「第三者の関わる生殖技術」を視野に入れた上で、現状での日本の位置づけや、今後の法整備のあり方について、多くの方と共に議論する機会を持ちたいと考えている。

映画『卵子提供―美談の裏側』

映画紹介

『卵子提供―美談の裏側』
原題「Eggsploitation」
(2013年 米国The Center for Bioethics and Culture制作 45分)

今やアメリカの不妊治療は数千億円規模の巨大産業に成長している。そこでもっとも盛んに取引されているものは何か?――人間の卵子だ。大学構内の掲示板やソーシャル・メディア、オンラインの求人広告では、 若い女性たちが数十万円から数百万円、時には1000万円にも達する額を提示されている。そして誰かの夢を叶えるために「人助けをしましょう」と甘い言葉で誘われるのだ。

それらの求人広告はもちろん、映画やテレビドラマまでもが卵子提供に好意的だ。卵子提供は、女性たちの助け合い、自己犠牲、科学技術の華麗なる成果として描かれる。 しかしそこに卵子提供の実態は表れていない。彼女たちが提供を決めた経緯はもちろん、どのように薬を服用し、手術を受けているのか、そして提供後、彼女たちがどうなっているのかは美辞麗句の裏に隠されたままだ。

本映画の原題は『eggsploitation』。「eggs」(卵子)と「exploitation」(収奪)をつなげた造語である。作品内では当事者へのインタビューを通じて、実際の「卵子提供者」の扱われ方、 提供者が経験する短期的リスクや長期的リスクといった、今まで知られていない実態が明らかにされる。そこからは、若い女性たちを資源とみなし収穫し続ける姿、すなわち卵子提供の常套句である 「人助け」とは対極の収奪システムが浮かび上がってくる。

日本語版制作について

日本語版制作は、「代理出産を問い直す会」が、2013年度竹村和子フェミニズム基金の助成を受け、生命倫理文化ネットワークセンターによる著作権の許可を得た上で行った。 なお、本映画『eggsploitation』は元々2010年にリリースされたが、2013年10月に更に新たな事例を追加した新バージョンが再リリースされた。今回、日本語版制作に用いたのは、 この新バージョンである。

Eggsploitation日本語版制作委員会

  • 総合監修・翻訳:柳原良江
  • 編集:石川公彌子・勝野有美・平岡章夫
  • 映像:鈴木良子
  • 翻訳協力:大野和基
  • コーディネート・翻訳協力:Christian Justin Shearn
  • 医学監修:打出喜義

オンライン配信

「代理出産を問い直す会」が日本語版を制作した映画『卵子提供–美談の裏側』(日本語版)は、現在、下記のサイトから有料にてご覧頂けます。

【オンライン配信サイト】

※お支払い頂く視聴料は全て、本映画のオリジナル版である「Eggsploitation」を制作したNPO団体
米国生命倫理文化センター(The Center for Bioethics and Culture Network)
の収益となります。
※このオンライン映像は、私的な視聴を目的としたものですので、公的な場での上映会を実施する際は、引き続き当会までご連絡下さい。本映画が卵子提供に関する危険性を日本国内の人々に知って頂く上での一助となりますことを願っております。

上映会

【イベント趣旨】
近年、日本でも第三者の女性の卵子で妊娠する事例が増え、卵子提供という方法が知られるようになってきた。しかし一般的にこの方法では、卵子を望む不妊治療者の願いや、 女性のライフスタイルの多様化など、ポジティブな面ばかりが強調され、もう一人の当事者である卵子を提供した女性や、生まれた子どもの抱える問題の実態は殆ど伝えられていない。 「代理出産を問い直す会」では、このような知識や議論の偏在を前に、卵子提供者が抱えるリスクをより多くの人に伝えるべく、卵子提供の実態を描くドキュメンタリー映画上映を行っている。

映画のチラシはこちら(PDF)

会の趣旨

生命科学技術は不可能を可能にする。代理出産もその一つである。けれども可能であることが全て、私たちの社会で行われるべきとは 限らない。

代理出産は、私たち自身や、自分の家族、親しい人々の命と健康を奪う危険をもたらすが、それらはいかにして正当化されるのであろうか。代理出産は、親を契約により決める行為であるが、生まれた子どもにとって、契約上の親が本当の親となりうるのか。また、自分の体から生み出した人間が、子と赤の他人となりうるのか。そもそも親子のつながりが、誰かの意思に基づいた契約により決められる社会を、我々は欲しているのだろうか。

現実として、すでに数多くの問題が生じている。いくつもの調査が、代理出産を引き受けるのは低所得の女性であることを指摘しており、代理出産が普及すれば、人体を搾取する手法として成立するであろう姿を予測している。実際に、発展途上国の女性たちが生活費を得るため、先進国の人間からの代理出産依頼を引き受けている場合もある。そのうえ依頼者たちがより安い身体を求めて、さらに貧しい国の女性に依頼する事例も生じている。

無償の場合のみ容認する国や地域でも問題は後を絶たない。女性は孵卵器でも保育器でもなく、一つの統合された身体を持つ人間である。 当初は割り切れると信じられた行為であっても、実際に経験した人から、苦悩の声が上げられている。米国内では、代理出産を不妊夫婦 への善行だと信じて志願したその当事者たちが、自ら後悔の念を綴り、禁止運動が進められた経緯がある。

しかしこうした問題点を、私たちは十分に認識しているだろうか?世論はメディアに影響される。人類への福音と称され、不妊夫婦の悩みに焦点をあててきた報道が、私たちの発想に影響を及ぼしてはいないか。肯定的な意見が論じられるとき、その裏に必ず存在する、産む人の葛藤、その家族の苦悩など、産みの当事者の問題は認識されているのであろうか。報道では置き去りにされがちなこれらの側面にも光が当てられてもなお、人々はこの行為を、福音として楽観的に捉えることができるのだろうか。

本会は、代理出産に関して、過去に日本学術会議で指摘されてきた自然科学や法学の領域における問題はもちろん、身体の商品化、 いのちの階層化といった、わが国の議論では十分に語られてこなかった社会的・倫理的側面を捉え、問題意識を共有する多くの人々とともに、代理出産の位置づけについて問い直していく。その作業を通じて、私たちと、私たちの大事な人々たちが、自らの身体を他者に 利用されることも、他者を利用することもなく、安心して生を営める社会をめざすものである。

代理出産を問い直す会発起人一同